有一次看到一個票選活動,由觀眾(還是影評人?)票選昭和年間誰是最好的電影女演員。2個結果裡面,榜上的前三名分別出現原節子、吉永小百合、 田中絹代和高峰秀子這四人。其中原節子(「東京物語」的女主角)在2個票選裡都拿下第一名。我因為對老片情有獨鐘,特別愛看小津安二郎、溝口健二、黑澤 明、木下惠介的電影,也因此除了吉永小百合,其他三位女演員的電影都看過好幾部。
原節子去年以95歲高齡過世。據wiki介紹,她最後一次出現在公開場是在1968年(48歲),從此原節子謝絕一切公開亮相,就連去年的喪禮家屬也在結束以後才對外通知。據說原節子其實不愛演戲,但小時候家窮不得不出來,卻成為最令人懷念也最神祕的女演員。
田中絹代在三位裡面相貌較不突出,但是我認為是最有深度、厚度的。「武蔵野夫人」裡,她淋漓盡致地表現出戰後傳統日本女性遭受到的文化衝擊;「西鶴一 代女」、「雨月物語」裡演出娼婦、女鬼;「陸軍」裡則是掛念兒子出征的母親。絹代死後,每日電影影展自1985年成立了「田中絹代賞」表揚對電影有傑出貢 獻的女演員,可見田中絹代在電影界的地位。
高峰秀子的代表作可以推「二十四雙眼」。她飾演一位到鄉下教書的女老師,把原本無趣的小學帶得有聲有色(我認為足以和「真善美」相提並論)。高峰秀子 的演出給我的感覺是,不勉強,不壓抑,而且不會沉溺在某個戲劇性的情感裡,很平靜地講出有深度的話語。看她的電影不會感到負擔。
我很欣賞高峰秀子的人生觀。體面、平凡、真摯,但高貴。回台灣前,在網路二手書店買了秀子寫的書「我的渡世日記」。
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私はいつも、自分の人生を「おかげ人生」だ思い、今もそう思っている。まず、映画俳優の仕事は画家や彫刻家と違って、一人では絶対にできない。だ れかがライトを当ててくれなければ、だらかがカメラをまわしてくれなければ、私がいかに熱演しようとも画面には映らない。そんなことは百も承知だが、それ をあえてここに書くのは、私が感傷的なのかもしれないし、お年のせいで涙腺がゆるんでいたと言われるかもしれないけれど、人間は一人では生きることも死ぬ こともできない哀れな動物だ、と私は思う。
自分一人で生きるつもりでも、実は数えきれぬほどの他人の世話になり、他人のおかげで生かしてもらっているのだし、死んでから起きあがって自分の墓にまで歩いて行って無事におさまるというわけにはいかないから、死んだあとにも、やはり他人の世話になるのだ。
これが「おかげ人生」でなくてなんだろう?私はいったい、このたくさんの「おかげ」に対して、なにか報いることができるだろうか?たまたま俳優という一本のクギであるならば、優れた演技を示すことで、他のクギたちの努力に報いる、ということも考えられる。けれど演技というものは、ただシャカリキに熱演が生まれるという簡単なものではない。
チビッコ少女の私にできることは、せめて一緒に仕事をするスタッフに迷惑をかけないこと、くらいだった。それが私の処世訓の始まりであった。
高峰秀子(1924~2010) 少女頃の思い出
──我到現在還一直認為自己的人生是「託福人生」。首先,電影演員的工作和畫家或彫刻家不同,絶對無法一個人完成。如果沒有人幫忙打燈,如果沒有人幫忙運 鏡,我再怎麼賣力演出也不會進到畫面裡。雖然這事情誰都知道,在這裡寫出來,可能是我太感傷,也許有人會說是上了年紀淚腺失調,但我認為人無法一個人活 著,也無法一個人死,是很可憐的動物。
就算自以為一個人就可以過生,但實際上卻是受無數的人照顧,託他人的福才能活著,沒有人死了以後還站起來,自己走到墳墓把事情辦完,所以死了以後還是要別人照顧。
這不就是「託福人生」嗎?我究竟要怎麼報答這麼多的「託福」呢?也可以說,既然有幸當演員這根釘子,就用優秀的演技來回報其他釘子們的努力。但是演技這種東西並不是拚命賣力演出就會出現,沒有這麼簡單。
身為幼小的少女,我能做的不過是不要給一起工作的伙伴添麻煩,大概就這些。這是我最早的處世訓。
高峰秀子(1924~2010) 回憶少女時期

